こんにちは、二拠点生活研究所のおさです。
秩父拠点を購入して、小鹿野町に通うようになってから早10年。
しかし、実は一度も観たことがなかった『小鹿野歌舞伎』
小鹿野歌舞伎の起源は今からおおよそ220年前にさかのぼり、江戸で修業を積んだ初代坂東彦五郎が帰郷後近所の若者に歌舞伎を教えたことに始まります。
昭和に入り、映画などの流行から一座芝居も大きく変化しましたが、文化財保護の気運が高まり、昭和48年に小鹿野歌舞伎保存会が結成されました。
昭和50年には県指定無形文化財、昭和52年に県無形民俗文化財の指定を受けています。
保存会結成後は郷土芸能祭を始め、年間8回定期的に上演。
子供歌舞伎、若手歌舞伎、女歌舞伎に加えて町民参加型もあり、「町じゅうが役者」といわれています。
小鹿野歌舞伎の紹介-小鹿野町役場
その小鹿野歌舞伎が全国地芝居サミットとして開催していたので、行ってきました。

と言っても、いまいち歌舞伎ってよくわかってない
なかなか日常的に触れる機会がなかったので、前知識ゼロです。
さて、会場は小鹿野町役場裏の駐車場となっています。


入ってすぐに『小鹿神社旧本殿』があります。



だいぶ歴史がありそうな建物だ
会場ではすでに秩父囃子が始まっていました。





聴いたことあるかも



秩父夜祭とかで演奏されてた気がするなー
会場脇では『観光物産展歌舞伎横丁』が同時開催されています。


焼き鳥やフランクフルト、うどんなどの軽食屋台から、スイーツ、お弁当まであります。
ポークソテーが美味い「レストラン イデウラ」が歌舞伎弁当、わらじカツ弁当を提供していました。
▼イデウラのポークソテーは必食


小鹿野観光館の町民ガチャ、小鹿野町のゆるキャラ「おがニャッピー」のガチャも出張してきてます。


そして、小鹿野にあるクッキー屋さん。









これすごい
おがニャッピーや歌舞伎の隈取がいいですね。
私はあまり詳しくないんですがクッキーに絵を描く『アイシングクッキー』というものらしい。
あまりに精巧すぎてマグネットか何かだと思いました。


食べ物じゃないと思われるお客さんも多いんですよね~(笑)
他の人もそうだったみたい(笑)
さて、舞台は小鹿野歌舞伎保存会による『三番叟(さんばそう)』に


舞台の安全を確認する意味で踊られるんだそう。
この後の小鹿野歌舞伎保存会の演目は夕方近くのようだったので、会場を離脱してお昼ご飯がてら日帰り温泉へ。
その内容については、別記事で書きたいと思います。
~~~ 夕方 ~~~
再び会場に戻ってきて、小鹿野歌舞伎保存会の演目が始まるのを待ちます。



お腹すいたー
お昼ご飯がやや足りなかったので、会場の歌舞伎横丁で『たらし焼き』を購入。


たらし焼きは小麦の生産が盛んな埼玉の秩父地方、加須で食べられているおやつ的なものらしい。
小麦粉を水で溶いた物に、味噌で味付けして、具材は野菜や漬物、夕飯の残りなどを刻んで入れて焼くんだそうです。
歌舞伎横丁のたらし焼きはネギが入ってました。



そぼくー



ウマー
そういえば秩父の氷柱を見に行った先でも、これを売っていて食べたことがある記憶。
地域や家庭によって具材も味付けも違うそうです。
時間がきて、本日のメイン『絵本太功記十段目 尼ヶ崎閑居之場』のはじまりはじまり


~にきょらぼさん解説~



全国地芝居の団体でも比較的多く演じられるこの尼ヶ崎閑居の場。
織田信長を討った明智光秀の「本能寺の変」を素材に描かれた時代物です。
「本能寺の変」の後、光秀が最期を遂げるまでの13日間を、一日一段という形で構成した原作の十段目に当たり、「太十」と通称される人気の場面です。
光秀とその家族に焦点を当て、戦乱に生きる親子の情愛と悲壮感が胸を打つ、重厚な義太夫狂言の傑作となっています。
悲哀のある場面


かと思いますが、独特の言い回しなので予備知識がないとわかりづらいかもしれません。



なんて言ってるかわからん(笑)
とは言え、伝統芸能に触れる機会は滅多にないので、こういった文化が日本にあるということを知るのは大事な経験だと思います。
小鹿野町では子供の頃からこういったことに触れる機会があって、第一線で活躍されている歌舞伎役者を招いた指導もあるようです。
最後までご覧頂きありがとうございました。
▼この時期、小鹿野はダリアが満開です


この記事を書いたのは


おさ
東京在住、3人家族
秩父・外房を中心に活動中
好きなことを好きなだけ
アウトドア・音楽・料理・家庭菜園・不動産…
好奇心旺盛がゆえに多趣味・多拠点生活中